実信房蓮生と号し念仏道に入った {清巌寺・栃木県・重要文化財}

清巌寺の歴史は、鎌倉時代初期に宇都宮氏によって建立された寺院を、戦国時代に宇都宮氏の家臣であった清原姓芳賀氏が移築して名前を清巌寺としたことにより始まるとされる。

宇都宮家当主・第5代宇都宮頼綱は1205年(元久2年)に幕府より謀反の嫌疑を受け、これを機に熊谷で隠居生活を送っていた当代の英傑・熊谷直実(熊谷蓮生入道)の勧めにより法然に帰依、1208年(承元2年)に出家して実信房蓮生と号し念仏道に入った。



頼綱は京に住んで証空にも師事し、幕府から罪が許された後の1215年(建保3年)に市内・宿郷町に当寺の起源となった念仏堂を建立した。頼綱は京の浄土宗光明寺にも念仏堂を建立している(現在の京都市常盤の西方寺といわれる)。

その後、戦国時代に入り、宇都宮宗家の譜代の重臣であり姻戚関係もあった芳賀高継が、主家への反骨が災いして自害した兄・芳賀高照の菩提を弔うため、宿郷町にあった念仏堂を1573年(天正元年)に現在地に移築し、「芳賀氏」の「芳」を採って山号を「芳宮山」、「芳賀高照」の「高照」を採って院号を「高照院」、「清原氏」の「清」を採って「清巌寺」とした。

1601年(慶長3年)、初代の関東郡代である伊奈忠次から寄進を受け、朱印地25石を塙田に有した。
update:2009年08月29日